SNSやテレビでこうした境遇に苦しむ人達の声ってよく聞くよね。
そんな投稿や特集番組に
「辛いよねえ。分かる」
と貴方もよく共感しているかも。
でもそんな苦しみの中でもガッツを発揮したヒーローがいるんだ。
「できるよ!大丈夫!」
と僕らを勇気付けてくれるヒーロー。
松岡修造さん??
いえ今回は違います。
修造さんも熱く僕らを応援してくれます。
でも今日はこの人
アメリカ合衆国第35代大統領
ジョン・F・ケネディ

ケネディの兄のジョーはとても優秀で一族の期待を一身に背負っていたんだ。
一方でケネディは身体が弱く成績も兄には及ばなった。
だから父親から厳しく言われることもあったそう。
今の日本では「頑張れ」と言うのはあまり喜ばれないムードがある。
対照的にケネディ家では常に「勝つ」ことを求められていた。
だけどケネディは学校生活で挫折をしたりもしている。
心理的な負担は本当に大きかった様子なんだ。
ケネディは入退院を繰り返したりもしている。
ストレス過多が原因とも言われているよ。
—
とても似てない?
僕らが日頃出会うみんなの苦しみの記憶と。
「子供の頃の心のキズに今も苦しみ続けています…」
こういう声、きっと沢山聞いたことあるよね。
僕らに馴染みがあること以外にもケネディの苦労はあった。
アメリカはキリスト教徒が多数派の国。
中でもプロテスタントが主流でケネディ家は少数派のカトリック。
だから「家の外」でも色んな苦労があったんだろうと思う。
—
ケネディも
「こんな家に生まれなければ!」
「生まれたくて生まれたんじゃないやい!」
とまくしたてたりすることがあったのだろうか。
もしかして心の中ではそんな気持ちがよぎることもあったかもしれないよね。
僕らの身近な場所で傷跡に苦しむ仲間達の中には、
その痛みで前へと踏みだすことができずにいる人もいるよね。
でもさ、ケネディは違うんだ。
ケネディは完璧すぎる兄や厳しい父親、自身の健康問題と色々なものを抱えつつも自分らしく人生を歩んできた。
そして自分らしくと言ってもそれは苦しいことは全部スルーって訳じゃなくて。
身体の痛みを抱えつつも大学でアメフトに励んだりガッツも大いに発揮したんだ。
その結果背中の痛みを大いに悪化させてしまったんだけれども、その後は水泳に励んでいたよ。
ケネディはやがて大統領になるけれど満身創痍の身体であることを人々に感じさせない堂々とした振る舞いをいつもしていたよ。
—
ケネディが生まれた時、ケネディ家はもう既に相当に裕福だった。
だから僕らなんかよりもめっちゃ有利な面もあったのは間違いないけれども。
その代わりにケネディは健康面においては相当に過酷なものを背負っていた。
加えて日頃僕らが体験しないような苦しみや葛藤もあった様子。
「頑張れ」が禁句みたいになってる今の日本だけど。
ケネディみたいに「頑張る生き方」からも何か見えてくるものがあると思う。
世の中が真っ白で理想的な社会なら、もしかしたら頑張らなくてったて大丈夫かもしれない。
でも悲しいかな、現実はそんなに薔薇色の世界ではない。
ケネディ家はアイルランド系カトリック。
色々な差別や不利益を嫌でも味合わないといけない状況にあった。
家の中も温かい「ここが僕の居場所!」って感じでは全然無かったらしい。
「どがんかせんといかん!」ってフレーズ、知ってる人いるかな。
自分自身で頑張らないとどうにもならない状況ってやっぱりあると思うんだ。
家族や人、社会をいくら呪ってもどうにもならない。
行き詰まりや閉塞感を打破するには自分が突破口を開くしかない状況も必ずあると思うんだ。
頑張った結果として本当に無理になっちゃうこともやっぱりあると思う。
ケネディも背中の痛みがさらに悪化してからは水泳に移っているし。
ここが凄い分かれ道というかキーポイントになるんじゃないかな。
違う道に変わったって良いんだ。
周り道したって良いんだ。
迂回だってやっても良いんだ。
その時その時歩いている道でキラキラしながら生きる。
そして一口に「頑張る」と言っても世界チャンピオンが取り組むことと僕らが取り組むことは違う。
SEALみたいに特殊部隊のメンバーになりたいなら気を失う様な訓練を丸一日しないといけないかもしれない。
でももし君が今精神的に苦しんでいる状況なら、それは朝一歩外に出ることかもしれない。
僕たちは一人一人、それぞれの課題がある。
それと向き合うことが頑張るってことだと思う。
もしかしたらふっと闇が浮かんでくるかもしれないけれども。
そいつは僕らの引き立て役なんだ。
立ち向かったらきっとその日は気分が良いはず。
君が君の苦しみと格闘しながらその日の目標に励むことができたなら。
もう気分はJFK!